ヒトリゴト

2011年3月14日 (月)

M100以上

頭きた。頭きた。頭きた。頭きた。頭きた。頭きた。頭きた。頭きた。頭きた。頭きた。どいつもこいつも、何考えているんだ。

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2010年3月 1日 (月)

いってらっしゃい、モミ。

モミ子が、ニュージーランドへ行くのだとさ。留学だと。オイラ、こんなにアイツのこと買っているのに、なんで付き合っていないんだろうねぇー。

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2009年9月24日 (木)

グッドバイ・ドラフター

ドラフターを売却。ヤフオクにて、2500円。当方まで車で取りに来てもらったのだが、あまりに不憫に思ったのか、帰り際に、さらに2000円くれた。オークファンで調べても、この位の価格が妥当らしい。新品で購入したのは、15年以上前だが、当時10万円以上した。それが今や、ゴミ同然。確かに、場所をとって、ホント始末が悪い。けれど、これも時代の移り変わりですなぁ。

同時に、机も撤去してしまった。これで、ボクの部屋、一変。音も激変。チョー良い。中高域のS/Nが向上。音場感が、たまらなくイイ。やる前は、低域の見通しが良くなれば、ぐらいにしか思ってなかったが、ホント良かった。前から併用していた、MUJIのスチール棚×2に加え、1.5個の木製の棚を置こうと思う。部屋スッキリ、間接照明でモダン、音もイイとくれば、大満足。

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2009年9月 7日 (月)

これからの音楽のかたちと価値とは

Phile-webという、オーディオ関連のポータルサイトがあるのだが、そこに面白いインタビューが載っていた。↓

坂本龍一氏に訊く、これからの音楽のかたちと価値とは

さすがは河出書房新社の編集者を、父に持つだけあって、しっかり文献を読んでいることがわかる発言内容ですねぇーー。なかなかオモロイ、しかも重要な議論です。

ただ、ただしです、最後の結論が、ボク的には納得しかねる。というか、茶々を入れたくなる。この、人間の五感を使った、「リアルな体験・感動」を大切に、という論旨は、この前読んだ、「計算不可能性を設計する」(←読み終えた本//090722)の論調とも一致する。

けどね、その「武満徹が防空壕の中で聴いた蓄音機のシャンソン」だって、やっぱり再生音楽だったワケですよ。と一旦考え出すと、凄く突っ込みどころ(というか、思考のキッカケ)が山ほどあることに気づくと思うのです。

基本的に、「生」尊重ということには、ボクとしては、全く異論がないのですが、まぁーー、みなさんどう思います???

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2009年4月 1日 (水)

ブラコンとジャズとオーディオ、一直線。

このブログの更新内容を見れば明らかなように、タイトルのとおりです。ちょっと、明文化してみた。

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2009年1月23日 (金)

当った:ver.2

今度は、車に当った。といっても、轢かれた。つまり、交通事故。もう2週間も前の、1月9日(金)の午後6時過ぎ、近所の交通量の多い交差点で。車もかなりへこんだが、なぜか、ボクの方は、ほぼ無傷。打撲と擦り傷で済んだ。交通事故とは無縁だと思っていたが、アッサリ後ろから轢かれた。皆さん、気をつけませうーー。

Img_4171

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2008年9月26日 (金)

みなさん、気を付けませうーー。

パソコンのハードディスクとCDドライブを交換したのだけれども、320GBのHDDを購入して、交換してから知った、途方もない事実。

「尚、BigDriveにOSをインストールする場合はWindowsXPのSP2が適用されているCDを使用する必要がございます。これ以外のOSを使用してOSのインストールを行う場合は137GBまでしか使用することは出来ません。OSインストール後レジストリを書き換えて137GB以降の領域を使用できるようにしても、HDDの情報がおかしくなったりファイルが壊れたりする場合がございますのでご注意ください。」

こげん、大切なこと、手引書として購入したムックや、ドスパラのHPの類には、どこにも書かれておらん!!!えぇーーーーぇぇ!!ドスパラの通販で、領収書と一緒に送られてきた「はじめにお読みください」に、何気に、書かれていた。320GB、意味ないじゃん。

まぁ、音は滅茶苦茶静かになったし、スピードも快適だし、高耐久だから、「全く」意味ないわけじゃないけれども。みなさ~~ん、気を付けませううううーー。

CDドライブから交換した、パイオニア製のDVDドライブは、かなりヨイ。なんといっても静かだし、振動も少ない。

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2008年8月23日 (土)

「おいしい水」賞

おとといの木曜日、なにやらデカイダンボール箱が、届きました。宛先は、アタイ、送り主は、ユニバーサル・ミュージックとある。「ふへぇ???」と、こころあたりが無かったわけですが、開けてみたら、瓶詰めの、フランス産のミネラルウォーター24本と、ボサノバ50周年キャンペーンにご応募ありがとうございます、「おいしい水」賞にご当選されました、との添え書きが。「あぁーー、そんなのに応募したの、半年も前のことじゃねえ??」と思いながらも、この手のキャンペーンには、なぜかよく当たる、アタイなのでした。

冷やして飲んでみたら、「炭酸入り」のミネラルウォーター(味なし)でありました。今、デジカメがないから、これまた、写真とれず。

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お盆の珍客

先週の土曜のことです。夜に、換気のために窓を全開にして、自分の部屋を掃除してたら、なんと、メスのカブトムシが、飛び込んできました。飛び込む羽の音から、はじめはセミが迷い込んだのかと思ったのだけれど、メスのカブトムシでした。ビックリして、捕まえたカブトムシを、ミチコさんに見せに行ったら、お盆だし、ちゃんと逃がさないとダメよ、との冷静な発言。まぁそうだな、と思い、雨戸のレールの部分に逃がしたら、ミチコさんがやって来て、おばあちゃんかもしれないから、お父さんに見せてあげたら?とのこと。でもって、そのカブトムシをまた捕まえて、入浴中のアキオちゃんのところへ行ったら、これまた、いまいち反応がよくない。

血液型による性格判断すら、「医学的に無根拠だ」と、全く信じないアタイですが、お盆とか、そういう、昔から人々の心のなかに根ざしているようなことは、大事にしていきたく、それに対しての、両親の意外な素振りにガッカリだったわけで、結局、再びレールにカブトムシを放して、掃除を再開したわけです。

そうしていたら、亡くなったおばあちゃんと、ある意味特別な関係にあった自分、お盆、メスのカブトムシ、これらが、一つにつながったのか、アキオちゃんがしばらくしてやって来て、「どこにいる」、と言う。少し時間が経っていたから、当然、もういなくなっていると思いながらも、窓を見たら、悠然と網戸にへばりついている。でもって、「ああーー、ほんとにいるねぇ。」、とか言いながら、そのおばあちゃんと、ご対面。そうしたら、お互い、気が晴れたのか、おばあちゃんのカブトムシも、アキオちゃんも、どこかに行ってしまいました、とさ。

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2008年7月19日 (土)

ううぅうぅぅーーーー。

今晩は、バイト先の昔の仲間たちも、久々に集まって、飲み会でした。けれど、なんでだか、ここ一年位、アルコールが入ると、ほとんど夜眠れなくなるので(こういうのを老化っていうの??)、いい機会だから、いろいろと思うこと・考えることを、忘備録しましょうーーーー。

って言っても、要するに、「恋愛」なのです。このところ、放線科のIさん、または、その後の小児科・受付の某・エリツィンとの一件以来、「んっんん」っていうヒトがいるのですが、もう仲良くなって(一緒に初めて食事に行って)以来、3ヶ月、なかなか先に進んでいないのです。このことは、結構仲間ウチでは有名な話でして(というのも、一緒に昼休みを過ごしていたりするワケだから、あんな嬉しそうなお前の顔、見たことが無い、だとか、すげーデカイ声になっていたぞ、だとか、周りから直接ボクに言われる訳でして、、、)、そんでもって、今日の飲み会も、オトコ祭り、ならぬ、「○○○(ボクの本名)血祭り」状態になるわけです。曰く、オメェー、どうしたいワケ??とか、○○○(ボクのこと)は、いつもなんか、自分のコトも他人ゴトだもんなーー、だとか、その好きなヒトのことしか見えなくなるぐらいじゃなきゃ、ダメなんだよ、あるいは、いつもイイとこまで行くけど、最後のツメがあまくてダメになるよなーー、などなど、もうホント、言いたい放題なわけです。こんなこと言っているのは、みんな、基本的にボクより年下のあんチャンだったりするから、ボクはボクで、心の中で、オメェーはオメェーだろ、オレはオレだ。オレは自分の信じた道を行く!!などと、絶叫するのです。(もぅ、ストレスが貯まるよねぇーー。本当に、このココロの叫びをどうにか処理できるのは、ただ寝ることだけだから、なんとかしたいよねぇ~~~っ!!!)

まぁ、今、ボクがそのヒトとどういう状態で、どうすればいいの?っていう、所謂「恋愛相談」的なことは、ここでは記しませんが(そこらへんは、巷のブログにまかせましょうー。)、帰りの深夜バスの中で、独りになったとき、Going my way、これはオレのいつものStyleだな、って考えて、なんの脈絡も無く、マイケルのお兄ーヤン、例のジャーメイン・ジャクソンの、’81の(個人的にはかなりの傑作アルバムだと思っている)”I Like Your Style”を、正確には、このタイトル名を、思い出しました。

そう、この未だCD化されていない(かく言うボクは、LPで持っている)、当時ほとんどヒットしていないアルバムの、音作りがどうのということじゃなく、このタイトル名なのです。ボクは今まで、”I Like Your Style”つまり、「キミのスタイル、つまり、キミの生き様が、ボクは好きなんだ。」という風に訳して理解していて、「なんかカッコイイーー!!」っていうワケだったのだけれども、ふと、「なんで、素直に”I  Like You”って言わないんだろう。」と、思いが巡ったのです。

やっぱり、「Style」という理由付けじゃなくて、「Like」でいいじゃないか。もっと言えば、「Like」じゃなくて、「Love」なんだろ??、、、と。”I Like Your Style”という外在化は必要じゃなくて、”I Like You”、さらには、”I Love You”というキモチに勝るモノは、実は無いし、また必要もないんじゃないかと。(なんか、安い恋愛マニュアルみたいになってきましたねぇーー。ヤバイ、ヤバイ。)

思えば、ボクはこれまでの生涯のなかで(少し大袈裟だけれども)、とにかく不確実なコト、曖昧なモノ、理性(理屈)で説明が出来ない事象は、極力、自分の中にも、外からにも排除する、換言すれば、ヒトリヨガリじゃない(と、自分に説明できると、自分で思える)、「言説」重視だったわけです。これは、少し前のこのブログの記事で触れたわけだけれども。言葉、理屈、説明、言説。換言すれば、外側から、あるいは、少し引いた地点から眺めて、説明ができること。それで、筋が通ること。(筋が通るといっても、「社会的に」というよりも、あくまで、「自分の基準で」というところが、ボクの人間としての弱いところなんだろう。)そして、それこそが、衝動や条件反射オンリーの、犬や猿とは違う、理性を持った人間というものなのではないかと。「考える」・「行動する」ということの本質は、コレなのではないかと。

けれど、これとは逆のベクトル、「少し引いた外側」からじゃなく、本当に自分の奥底から、ドワっと湧き出るようなベクトル。それをボクは知らなさ過ぎた、あるいは、意図的に封印し過ぎたのではないか。これを抑えることがカッコイイというのは、なんか、錯覚なのではないか。

そして、これが、恋愛だったり、好きということだったりするのではないか。そういう風に考えるわけです。

ここで、再び、「Style」という言葉に戻ってみると、急に、黒川紀章のことを思い出したりします。この前、いつもお世話になっている「S」氏に、「黒川紀章の名前は知っていますよねぇ?」と聞いたら、「ああ、あの人は、建築家だよねぇ。最期、なんか、選挙に立候補したりして、自分の死期を悟っていたみたいな人でしょ?あの人は、好きじゃないなぁ。」という答え。要注意なのは、この「S」氏、建築業界人じゃないけど、親しい人に建築家がいるらしく、かなり「ウワサ」的なことは知っているということ。別に、この「S」氏じゃなくても、黒川氏の、アノ、ヒトを見下すようなものの言い方や、なんか、「オレはすごいんだぞーー」と言わんばかりの他人への接し方、などなどは、かなり、一般の人でも反感をくうのではないか。けれどね、やっぱり凄いんです、黒川紀章は。確かに、70年代のある時以降、つまり、氏が既にステータスを築いて以降、または、デザイン界から「黒川の転向・脱メタボリズム」と揶揄されるようになって以降、黒川事務所の設計するものは、かなり、訳がわからなくなるのは事実としてあるでしょう。学生などから見れば、「規模は馬鹿でかいが、全然おもろくない」となるでしょう。まぁ、ボクも、ちょっと前の「黒川論」(このブログに書いたよね)で、ぼろ糞言っているワケですが。しかし、その70年代よりも前、60年代の初頭から大阪万博で大活躍するぐらいまでの黒川紀章は、十分、一考の価値有り。メタボリズムとして、本当に、当時の世界じゅうのデザイン界を輝かしくリードした、と言っても言い過ぎじゃないんだから。もちろん、今のデザインの在り方、みたいなこととは、かなり違って、理論先行型であるし、現在は、建築で未来を描くというのは、かなり困難になっているから、当然、違和感はあるわけだけれども、しかし、「力」を凄く感じることはできるのです。

なにが言いたいかというと、要するに、みんなが知っている黒川紀章の、人格というか、上に書いたキャラクターは、この時の凄まじいまでのエネルギーや、オレは成し遂げたという、強い自信の表れなのではないかと。晩年の、氏の「Style」は、要するに、結果として、後からやって来たコトと理解できないのかと。そう、いろいろな「Style」って、目指すものではなく、結果なのではないかと。必ず後から遅れてやってくる、ということ。ボクの音楽の趣味で、しばしば、「ブラコン的なStyle」といったことを、音作りの上で、意識したりするし、また、自分の部屋の調度品にしても、着る洋服にしても、凄く「Style」と分類できる事柄を意識するけれども、途端に「???」となるのです。

もの作りとして、または、ものとの関係性の定義としてのデザインもまた然りなのではないか。思いつくのは、藤本壮介にあって、石上純也に足りないもの。ボクが直感で「白いデザインはダメだ」と思っていた根拠。デザインもまた、「Style」じゃないんだ。

グルグル話は回っていますが、つまりのところ、”I Like You”→”I Love You”で、、、結果として”I Like Your Style”なのではないか。

もう、お頭グルングルンなわけですが、もう一つ、さっきの、「一歩引いた外側からの」ベクトルと、「内から湧き出る」ベクトルについて。「好き」ということは、実は、後者なのではないかと書いたけれど、「作り出す」や「創造する」、もっと言えば「芸術」(つまり、一部の「デザイン」もまた)「内側からの」ベクトルなのではないか。これも、前のブログで書いたけれど、理論や思考、つまり、「一歩引いた外側から」やって来て説明する方法でのデザイン、これが流行りであり、この流れは変わりそうになく、かなり強固なわけですが、やっぱり、根本に、「内から湧き出る」モノがなければ、それは弱いのではないか。

勿論、ここまで書いてきて、ボクは解っています。「内側から湧き出る」モノと、「個人的・私的」(ハッキリ言えば、恩師の○○氏的)な「表現」、あるいは、「装飾」と呼ばれるキッチュたちとの違いを。(多くの人たちは、ココを取り違えているんだねーーー。ようやく解ったよ。時間かかったなぁ~~。)

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